「旧五輪教会のスケッチ会(久賀島)」(C)山本二三/絵映舎
『天空の城ラピュタ』『火垂るの墓』『もののけ姫』『時をかける少女』等、数々の名作アニメーション映画の美術監督として、多くの人々の心に残る風景画を描いてきた山本二三。
2010年より故郷の長崎県五島列島を描くライフワークの作品群『五島百景』に取り組んできました。様々な仕事の合間を縫って制作を続け、10年をかけてついに2021年1月4日に完成を発表しました。
五島百景を描き始めたきっかけ

1953年6月27日、長崎県福江市(現五島市)に生まれた山本二三。幼少期は実家の畑仕事の手伝いや磯遊びで五島の自然に親しみながら育ちました。

木のたらいで遊ぶ弟と私です。暑い夏の昼下がり、保育園に通う子供達もいない頃、祖母、両親がサツマ芋畑の私の背より高い雑草を取っている間、私と弟はタラ イに入って遊んでいた記憶があります。大きな松の木陰に洗濯用の大きな木桶を持って来て、その中に水をはって遊ぶのです。(山本二三 五島百景より)
「行水」(C)山本二三/絵映舎
まだ本当に小さかった頃、母が野良仕事の昼休みに海で私と遊んでくれたことがありました。母がシュミーズ姿でお腹のつく位の深さの水に入り、私の手を繋いでパシャバシャと足を動かして遊んでくれたのです。泳ぎを覚えたかった私には、とても嬉しい事でした。これは私にとって一生忘れられない思い出です。(山本二三 五島百景より)

「釣り」(C)山本二三/絵映舎


子供の頃から絵が得意だった山本二三は漠然と将来は絵の仕事が出来たらと思っていました。ある日、中学校の体育館で『わんぱく王子の大蛇退治』というアニメーション映画を見て「こんなにきれいな世界があるのか」と衝撃を受けます。(その作品の助監督は高畑勲氏でした。)中学校卒業後、単身で五島を離れ、岐阜県の工業高校で建築を学びます。

東京に出て専門学校に通いながら、アニメーション背景画の会社に勤め始めました。
写真は22歳のころで背景画の仕事に就いて2年目です。『マジンガーZ』の背景を描いていました。この後、日本アニメーションに入社して宮崎駿監督と出会います。1978年、NHK初のアニメーションシリーズ『未来少年コナン』は宮崎駿氏の初演出作品で、24歳の山本二三にとっては初の美術監督と転機になった作品でした。
『天空の城ラピュタ』制作時。厳しいスケジュールの中、自分のパートが終わったのは徹夜明けの誕生日。「さんざん苦しい33歳」などと冗談を言っていました。その後も『火垂るの墓』(高畑勲監督)や『もののけ姫』(宮崎駿監督)などで美術監督を務めました。





